かつて日本地図から消された島があったことをご存知ですか?

みなさんは、かつて日本が、毒ガスを秘密裏に製造していたことをご存知だろうか?
戦争での使用が世界的に禁じられてた毒ガス兵器を、日本軍が日中戦争において実戦使用した事実をご存知だろか?
そして、今なお、日本軍が製造し使用した毒ガスの後遺症に苦しむ人々が、中国や日本に多数おられることをご存知だろうか?

 

 

11月16日に広島県尾道市で開催された全国社民ユース合宿交流会で、「地図から消された島(大久野島)の毒ガス製造・ヒロシマの加害の歴史」の講演がありました。
講師は、毒ガス島歴史研究所所長の山内正之さん。
山内さんは、日本の毒ガス製造に関わる被害と加害の歴史について、20年以上もその語り部として活動されています。

 

広島県竹原市、瀬戸内海に浮かぶ大久野島、現在この小さな島は「うさぎ島」として観光スポットになっています。
しかし、1927年から第二次世界大戦が終わるまでの間、この大久野島において日本陸軍の毒ガス製造工場が設置され、秘密裏に毒ガス兵器が製造されていました。

日本軍は、大久野島で製造された毒ガス弾を日中戦争で実戦使用します。
中国兵だけでなく一般市民も巻き込み、あわせて9万人以上を殺傷したことが明らかになっています。
第一次世界大戦の反省に基づき国際条約で毒ガス兵器の使用が禁止されていたにもかかわらず、第二次世界大戦において、日本軍は世界で唯一実戦で毒ガス兵器を使用したのです。

また、毒ガス兵器を製造していた大久野島でも、工員や島民に多数の死傷者を出しました。
毒ガス製造自体が軍の最重要機密事項であったため、当初は工員や島民でさえ、その工場で何を作っているのか知らされず、昭和10年頃には日本地図から大久野島の存在が消されたほどです。

 

山内さんのお話をうかがって驚いたことは、日本の毒ガスの歴史は過去のものではなく、今なお現在進行形で被害をもたらしているということです。
敗戦した日本軍は、中国本土に毒ガス弾やその原材料などを大量に遺棄しました。
そして戦後60年近く経った2003年、中国黒竜省チチハル市のマンション建設現場から毒ガスが入ったドラム缶が掘り起こされ、死者1名、負傷者43名の被害を出す事故が起こりました(チチハル事件)。
日本においても、北海道屈斜路湖(1996年)、福岡県北九州市苅田港(2000年)、千葉県習志野市(2012年)などで、相次いで大久野島で製造された毒ガス弾が発見されニュースになっています(「国内における老朽化化学兵器事案」(外務省))。
現在も、秘密裏に日本軍が海洋投棄した毒ガス兵器が、全国各地の海中に残されたままだと言われおり、いつどこで毒ガスの被害が起こるかわかりません。

もうひとつの大きな問題は、毒ガス被害者に対する救済のための法律が未整備のままで、補償が不十分なままであるという点です。
国の命令によって毒ガス製造をさせられ、今もその後遺症に苦しんでいる日本人被害者は、山内さんのお話だと最低でも1,000人以上はおられるということです。
前述しましたが、中国では、現在進行形で毒ガスによる死傷事故が起こっており、戦後の事故によって3,000人以上の被害者を出しているという現実もあります。
日本政府は、「化学兵器禁止条約」に基づいて、中国で遺棄された毒ガス化学兵器の処理を進めていますが、すべてを取り除くためには多くの時間と費用が今後も必要とされるでしょう(遺棄化学兵器処理事業)。
毒ガス製造が秘密裏に進められ、敗戦後直ちに多くの関係資料が廃棄されたため、事実認定が困難な状況で救済法が整備されない問題に関して、「国は被害者がこのまま亡くなり、この問題が自然消滅してしまうのを待っているのではないか?」という山内さんの悲憤の思いに触れ、戦争の爪痕の深さを感じました。

 

今回、山内さんから大久野島のお話をうかがって、戦争に対する本当の反省とは、加害の歴史を認めてはじめてできるのではないかと学びました。

 

来年2020年1月4日(土)~9日(木)、広島市中区にある旧日本銀行広島支店にて、「大久野島の歴史展」が開催されます。
興味のある方は入場無料ですので、ぜひご覧ください。

 

okunojima_20200104.pdf

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